訪問診療コラム

末期がんのせん妄・不穏—環境調整と薬剤最適化で穏やかな夜が続いた

ご自宅で末期がんの療養をされている患者様ご本人、そして日々懸命に寄り添われているご家族の皆様、本当にお疲れ様です。

今まで穏やかだった患者様が、急に大きな声を出したり、つじつまの合わないことを話したり、夜中に落ち着かなくなってしまう。そのような変化に直面し、戸惑いやショックを受けているご家族は少なくありません。「性格が変わってしまったのではないか」「自分の介護が悪いのではないか」とご自身を責めてしまうこともあるでしょう。

このような症状は「せん妄」や「不穏」と呼ばれ、末期がんの経過の中で多くの患者様に現れるものです。しかし、これは決してご本人の性格の問題でも、ご家族の対応のせいでもありません。体の中で起きている変化による「病気の症状」の一つです。

諦めないでください。適切な「環境の調整」と、専門的な視点による「お薬の調整(薬剤最適化)」を行うことで、再び穏やかな時間を過ごせるようになるケースは数多くあります。本記事では、ご自宅での療養生活を少しでも安らかなものにするために知っておいていただきたい、具体的な対処法と医療的アプローチについて解説します。

なぜ起こる?末期がん患者様の「せん妄」と「不穏」

まずは、なぜこのような変化が起きるのか、その背景を知ることから始めましょう。理由がわかると、それだけで不安が少し和らぐこともあります。

せん妄とはどのような状態か

せん妄とは、意識が少しぼんやりとした状態で、注意力が散漫になったり、時間や場所がわからなくなったりする症状のことを指します。

具体的には、以下のような様子が見られることがあります。

  • 昼夜が逆転し、夜になると興奮して眠らない
  • そこにいない人が見えると言う(幻視)
  • 点滴の管などを無意識に外そうとする
  • 話の内容に脈絡がなくなり、会話が噛み合わない

これらに伴い、落ち着きがなくなり、動き回ろうとしたり興奮したりする状態を「不穏」と呼びます。これらは一時的な脳の機能不全であり、認知症とは異なります。突然始まり、日によって、あるいは1日の中でも時間帯によって症状の強さが変動するのが特徴です。

身体的な苦痛や薬剤の影響

末期がんにおけるせん妄の原因は一つではありません。多くの場合、複数の要因が絡み合っています。

一つは、身体的な要因です。痛み、息苦しさ、発熱、便秘、脱水、電解質バランスの乱れなどが、脳にストレスを与えてせん妄を引き起こすことがあります。ご本人が言葉で「痛い」「苦しい」とうまく伝えられない場合、その苦痛が不穏な行動として現れている可能性もあります。

もう一つ見逃せないのが、薬剤の影響です。治療のために使っている痛み止め(医療用麻薬など)や、睡眠薬、ステロイド薬などが、体調の変化に伴って身体に蓄積しやすくなり、せん妄の引き金になることがあります。良かれと思って使っていた薬が、今の体の状態には合わなくなっていることもあるのです。

自宅でできる「環境調整」のポイント

せん妄や不穏の症状を和らげるためには、薬による治療だけでなく、患者様を取り巻く環境を整えるケアが非常に重要です。ご家族ができる工夫についてお話しします。

安心感を生むコミュニケーションとスキンシップ

せん妄状態にある患者様は、自分がどこにいるのか、今がいつなのかがわからず、強い不安の中にいます。まずは、ここが安心できる自宅であり、そばにいるのが家族であることを伝えてあげてください。

否定や訂正をしないことが大切です。たとえば、つじつまの合わないことを言われても、「それは違いますよ」と強く否定すると、患者様は混乱し、かえって興奮してしまうことがあります。「そう感じているんだね」と一度受け止め、優しく相槌を打つだけで十分です。

また、言葉だけでなく、背中をゆっくりさする、手を握るなどのスキンシップも効果的です。親しい人の温かさは、言葉以上に安心感を伝え、気持ちを落ち着かせる力を持っています。

光と音のコントロールで体内時計を整える

昼夜の感覚を取り戻すための工夫も有効です。

日中はカーテンを開けて自然光を部屋に入れ、できるだけ体を起こして過ごす時間を作りましょう。ラジオやテレビをつけたり、普段通りの生活音がある環境にしたりすることで、「今は活動する時間だ」という刺激を脳に送ります。

反対に、夜は部屋を薄暗くし、静かな環境を作ります。テレビは消し、刺激の少ない暖色系の照明を使うのがおすすめです。また、夜間にトイレに行く際に転倒しないよう、足元の明かりを確保しつつ、影が人に見えてしまうような複雑な物の配置を避けるといった工夫も、幻視による恐怖感を減らす助けになります。

カレンダーや時計を見やすい位置に置き、「今日は○月○日ですよ」「もう夜の9時ですよ」とこまめに声をかけることも、現実感を取り戻す手助けとなります。

医療の力で支える「薬剤最適化」のアプローチ

環境調整だけでは改善が難しい場合、医療的な介入が必要です。訪問診療では、患者様の全身状態を診ながら、きめ細やかな薬の調整を行います。これを「薬剤最適化」と呼びます。

痛みのコントロールとせん妄の関係

「痛み」はせん妄の大きな原因の一つです。痛みが強いために夜眠れず、その結果としてせん妄が悪化するという悪循環に陥っていることがよくあります。

この場合、まずは痛みをしっかりと取り除くことが最優先です。痛み止めが十分に効いているか、副作用で吐き気などが出ていないかを確認します。痛みが緩和されるだけで、表情が和らぎ、驚くほど落ち着きを取り戻される患者様もいらっしゃいます。

一方で、先ほど触れたように、痛み止めとして使われる医療用麻薬の一部が、まれにせん妄の原因となることもあります。このバランスを見極めるのが、私たち医療従事者の役割です。痛みを抑えつつ、副作用が出にくい種類のお薬に変更する(オピオイド・ローテーションといいます)などの専門的な対応を行うことで、意識をはっきりと保ちながら痛みを和らげることを目指します。

その方に合ったお薬の調整

すでに服用しているお薬の見直しも重要です。これまで長く飲んでいた睡眠薬や安定剤が、肝臓や腎臓の機能が低下してきた今の体の状態には強すぎて、かえってふらつきや興奮を招いている場合があります。

このような場合、思い切ってお薬を減らしたり、中止したりすることで症状が改善することがあります。また、せん妄の症状(興奮や幻覚)を抑えるための抗精神病薬などを、ごく少量から適切に使用することで、夜間の興奮を鎮め、自然な睡眠へ導くことも可能です。

「薬を増やすとずっと眠ったままになってしまうのではないか」と心配されるご家族もいらっしゃいますが、目的は「無理やり眠らせること」ではなく、「苦痛や混乱を取り除き、穏やかに過ごせるようにすること」です。患者様の反応を見ながら、ミリ単位での調整を繰り返していきます。

訪問診療だからこそできる、きめ細やかなサポート

せん妄や不穏は、病院にいるときよりも、住み慣れた自宅にいるときの方が落ち着く場合もあれば、逆に夜間の対応にご家族が困り果ててしまう場合もあります。だからこそ、在宅医療(訪問診療)のサポート体制が重要になります。

夜間の不安に寄り添う体制

せん妄の症状は、夕方から夜間にかけて悪化する傾向があります(夜間せん妄)。ご家族だけで夜通し対応するのは、体力的にも精神的にも限界があります。

訪問診療クリニックでは、24時間365日の連絡体制を整えているところが多くあります。「夜中に大声を出して止まらない」「どう対応していいかわからない」といった時、いつでも電話で相談できる環境は、ご家族にとって大きな心の支えになるはずです。

必要であれば、夜間でも医師や看護師が往診し、その場の状況に合わせて注射薬で対応するなど、迅速な処置を行うことができます。入院中のようにナースコールですぐに看護師が来てくれるわけではありませんが、それに近い安心感を地域の中で提供することを目指しています。

ご家族の休息も大切な治療の一部

患者様が穏やかに過ごすためには、介護をするご家族自身が心身ともに健康であることが不可欠です。ご家族が疲弊し、イライラしてしまうと、その緊張感が患者様に伝わり、さらに不穏を強めてしまうことがあるからです。

「辛いときは辛いと言っていい」のです。夜間の介護が難しい場合は、ヘルパーさんの夜間巡回を利用したり、一時的に施設を利用(レスパイトケア)したりする方法もあります。

私たち医療チームは、患者様の治療だけでなく、ご家族が倒れてしまわないよう、社会資源の活用も含めた提案を行います。薬剤調整と環境調整で夜ぐっすり眠れるようになれば、それはご家族にとっても貴重な休息の時間となります。

まとめ

末期がんの患者様に現れるせん妄や不穏は、ご本人にとってもご家族にとっても辛い症状です。しかし、それは決して解決できない問題ではありません。

適切な環境づくりを行い、専門医がお薬の種類や量をその時々の状態に合わせて最適化することで、激しい症状が落ち着き、再び穏やかな夜を取り戻せたケースはたくさんあります。

「もう家では無理かもしれない」と諦める前に、まずは私たち専門家にご相談ください。

患者様が住み慣れた場所で、最期までその人らしく、そしてご家族も穏やかな気持ちで過ごせるよう、私たちが全力でサポートいたします。お一人で抱え込まず、いつでも頼ってください。

外来WEB予約外来WEB予約
お問い合わせお問い合わせ
電話する電話する