悪性腹水で苦しい—在宅での排液計画と体位調整で呼吸が楽になった
がんに伴う「腹水」は、患者様にとって非常につらい症状の一つです。お腹がパンパンに張って苦しい、胃が圧迫されて食事がとれない、そして何より、横隔膜が押し上げられることで「息をするのが苦しい」という状態は、日常生活の質を大きく低下させてしまいます。
病院に入院していればすぐに処置をしてもらえそうですが、「最期の時間は自宅でゆっくり過ごしたい」「家族と一緒にいたい」と願う患者様やご家族にとって、在宅療養中にこのような症状が悪化することは大きな不安要素でしょう。「家で呼吸ができなくなったらどうしよう」「苦しむ姿を見るのがつらい」と、在宅療養を諦めかけてしまう方もいらっしゃいます。
しかし、訪問診療を利用することで、ご自宅にいながら適切な「排液(お腹の水を抜く処置)」や、呼吸を楽にするための「体位調整」を受けることは十分に可能です。
この記事では、在宅医療の現場で実際に行われている腹水への対応や、ご自宅で少しでも安楽に過ごすためのケア方法について、わかりやすく解説します。
なぜ腹水がたまると呼吸が苦しくなるのか
まずは、なぜ腹水がたまるとこれほどまでに息苦しさを感じるのか、そのメカニズムについて簡単に触れておきます。ここを理解することで、どのようなケアが効果的かが見えてきます。
お腹の張りが呼吸を妨げる仕組み
私たちの肺は、肋骨の下にある「横隔膜」という筋肉が上下に動くことで膨らんだり縮んだりして呼吸をしています。しかし、がんの進行などによってお腹の中に水(腹水)が大量にたまると、その水がお腹の内側から風船のように膨らみ、上にある横隔膜を強く押し上げてしまいます。
横隔膜が押し上げられると、肺が十分に膨らむスペースがなくなります。その結果、深呼吸ができなくなり、浅く速い呼吸しかできなくなるため、常に息苦しさを感じるようになるのです。また、腹水による圧迫は胃や腸にも影響し、食欲不振や吐き気、便秘などを引き起こすこともあります。
「悪性腹水」の特徴と身体への負担
がんが原因でたまる水を「悪性腹水」と呼びます。この腹水は、一度抜いてもまたすぐにたまってしまう傾向があり、管理が難しいのが特徴です。また、腹水には身体に必要なタンパク質などの栄養分も含まれているため、ただ抜けば良いというわけではなく、身体の状態を見極めながら慎重に対応する必要があります。
そのため、在宅療養においては、単に水を抜くだけでなく、全身の状態を管理しながら苦痛を最小限にするための計画的なケアが重要になります。
自宅でできる「医療的な処置」と「排液計画」
「自宅でお腹の水を抜くなんてできるの?」と驚かれることがありますが、訪問診療では日常的に行われている処置の一つです。ご自宅というリラックスできる環境で、安全に配慮しながら実施します。
訪問診療で行う「腹腔穿刺(ふくくうせんし)」
お腹にたまった水を針で刺して抜く処置を「腹腔穿刺」と言います。訪問診療医は、携帯型のエコー(超音波診断装置)をご自宅に持ち込みます。エコーを使って、水がたまっている位置や、腸管などの臓器を傷つけない安全な場所を慎重に確認します。
その後、局所麻酔を行い、細い管を挿入して腹水を排出します。入院中とは異なり、ご自身のベッドや布団で横になったまま受けられるため、精神的な緊張も和らぎやすいというメリットがあります。水を抜くことでお腹の圧力が下がると、押し上げられていた横隔膜が下がり、肺が広がりやすくなるため、「久しぶりに深く息が吸えた」と表情が和らぐ患者様も多くいらっしゃいます。
身体に負担をかけないための計画的な排液
腹水を一度に大量に抜いてしまうと、急激な血圧低下や、体内の水分バランスの崩れによりショック状態を引き起こすリスクがあります。また、必要な栄養分まで失われてしまい、体力が低下してしまうこともあります。
そのため、訪問診療では「一度に全量を抜く」のではなく、患者様の血圧や脈拍、全身の状態を細かく観察しながら、適切な量とペースを調整します。例えば、「今日は1リットルだけ抜いて様子を見ましょう」「管を留置して、時間をかけてゆっくり出しましょう」といったように、医師が一人ひとりに合わせた「排液計画」を立てます。
場合によっては、CART(腹水濾過濃縮再静注法)と呼ばれる、抜いた腹水から有用なタンパク質を取り出して再び体内に戻す治療法を検討することもあります。これには専用の設備が必要なため、連携する病院と協力して行うケースが一般的ですが、どのような選択肢がベストか、常に医師が相談に乗ります。
呼吸を楽にするための「体位調整」と「日常生活の工夫」
医療的な処置と並んで重要なのが、日々の生活の中での「姿勢」や「環境」の工夫です。薬や処置を使わなくても、体の位置を少し変えるだけで呼吸が驚くほど楽になることがあります。
呼吸が楽になる「セミファーラー位」
腹水がある場合、仰向けに真っ直ぐ寝てしまうと、重力によって腹水が広がらず、横隔膜を圧迫しやすくなります。そこで推奨されるのが「セミファーラー位」と呼ばれる姿勢です。
これは、上半身を15度から30度程度起こした姿勢のことです。介護ベッドの背上げ機能を使ったり、背中に大きめのクッションや座布団を挟んだりして、少しリクライニングしたような状態を作ります。上体を起こすことで、重力によって腹水や内臓が下がり、横隔膜への圧迫が軽減され、肺が広がりやすくなります。
クッションを活用した「安楽な姿勢」の探し方
同じ姿勢を長時間続けることは苦痛につながるため、クッションを活用して微調整を行うのがポイントです。
例えば、膝の下にクッションを入れて膝を軽く曲げると、腹筋が緩んでお腹の緊張が和らぎます。また、「抱き枕」を抱えて横向きになる姿勢(シムス位)も、お腹の圧迫を逃がすのに有効な場合があります。ご本人にとって「どの角度が一番息がしやすいか」を、ご家族や訪問看護師と一緒に探していく過程も大切です。数センチ単位の調整で、楽さが変わることも珍しくありません。
衣服や環境での圧迫解除
お腹周りを締め付ける衣服は、呼吸苦を悪化させます。ゴムのきついズボンやパジャマは避け、ゆったりとしたワンピースタイプや、伸縮性のある素材のものを選ぶと良いでしょう。重たい掛け布団も圧迫感の原因になることがあるため、軽くて保温性の高い羽毛布団やタオルケットを使用するなど、身の回りの環境を整えることも呼吸を助ける手助けになります。
訪問診療医と看護師が支える安心
在宅での腹水管理は、ご家族だけで抱え込む必要はありません。訪問診療クリニックのチームが全面的にバックアップします。
24時間365日のサポート体制
腹水の状態は日々変化します。「急にお腹が張ってきた」「息苦しさが強くなった気がする」といった変化があった場合でも、24時間365日対応の訪問診療クリニックであれば、いつでも電話で相談が可能です。必要であれば夜間や休日でも医師や看護師が往診し、処置を行ったり、酸素吸入の手配を行ったりします。
苦痛を和らげる薬の調整
腹水のコントロールと並行して、医療用麻薬などの薬剤を使って呼吸困難感そのものを和らげる治療も行います。「息苦しさ」を感じる脳の中枢に働きかけ、呼吸をゆったりとさせることで、苦痛を軽減します。これらの薬は、飲み薬だけでなく、貼るタイプや座薬、注射など様々な形状があるため、患者様が使いやすい方法を選択します。
まとめ
悪性腹水による苦しさは、適切な医療的介入と日々のケアによって、和らげることができます。「家では何もできないから我慢するしかない」ということは決してありません。
訪問診療医による計画的な排液処置、訪問看護師による体位の工夫やマッサージ、そして薬剤による症状緩和。これらを組み合わせることで、お腹の張りや呼吸の苦しさをコントロールし、ご自宅で穏やかな時間を過ごすことは十分に可能です。
「最近、お腹が張ってきてつらそう」「家での生活を続けていけるか心配」と感じている方は、ぜひ一度ご相談ください。私たちは、患者様が住み慣れた場所で、その人らしく過ごせるよう、全力でサポートいたします。

